虎になる夢を見る

脳内と音楽の話

繭のまま冬が終わって22℃ 促される羽化 液状のぼく

”安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ”
というのはばらの花/くるりの有名な一節ですが、ところで私は全く安心ではないので家から出られず何なら布団に包まれていたいしまぁ、思いっきり泣いたりはしています。ボケが。厭くるり

他人から与えられる肯定や励ましを真っすぐ受け取れられず自ら安心から遠ざかる始末。全然旅に出られないし出る気もないし困ったものです。

安野モヨコマッピーマニアで重田が「あたしはあたしのことスキな男なんてキライなのよっ」と言っていて、まぁインターネットでも有名なフレーズなんですけど。
この前ハッピーマニアを全部読んで、その上でめちゃくちゃわかるよ重田‥。って、インターネットに漂流させられまくって角が取れてころころになってしまった1コマだけじゃなくて6巻全部読んでわかるよ‥とおもってた、はずなんですけど、実際はそうではなかったのかもしれない。

私の事を好きな人が嫌いなんじゃなくて、私に優しくしてくれる人が怖い、ガチでこわい。
私にほんとうにほんとうに優しくしてくれる人間が発生して、たぶんそれはとても幸福だけど最悪で罰当たりな私はそれが苦しくてふたつの感情に脳みそを両側から刺激されて気が狂いそう、という日記です。
ある面から見たら恵まれているくせに呪詛ばかり吐いてるような。理解のある彼くん(彼くんではない)(恋人ではない)(恋愛感情もない)お気持ち表明みたいなキッショい文章です。

人にやさしくれることの何がどう怖いって、そんな価値がないのに私の中の私と相手の中の私に信じられないくらいの乖離があってまるで価値のあるもののような扱いをされること。嘘をついている気持ちになるし1人になった瞬間にそんな人間じゃないって思いが噴出して惨めさでのたうち回りたくなる。評価されていい人間ではない、優しさを向けられるほどの価値がない、馬鹿にしてくれた方がどれだけ楽か。それが私への正しい評価なんだから。

私の認知の歪みを少しずつ、と正そうとしてくれているんだけど、認知が歪んでいるという自覚は充分にあるし他人の優しさをまっすぐ受け取らないのだってそれが原因だと言われればそうなんだろうな、と納得はできるけど、でも、思考を"正されて"その私の考えてることは私の考えることと地続きなのか?
別に脳みそを何か取って食われたり今までの思想がリセットされたりするわけじゃないから地続きなんだと思うけど、でもなんだか気持ち悪いな、と引いてしまう私が悪いんだろうけど。
というか、誰が認知の歪みを正してほしいなんて言ったんだろう。このままでわりと大丈夫だしぶっとこうだから世界はこういう見え方だと思ってるよ、ずっと。

自分を不安に置いて生きていくのが得意だし、与えられそうな安心はこちらから願い下げみたいな態度をとってしまう。すごくよくない。
よくないけどこんなことしか知らないし知らなくてもいいのかもしれないと思ってる。新しいことを知るのはこわい。今まで殺意と悔しさと自分のできないことへの嘲りをバネに生きてきたんだから今更そんなのじゃなくていいって言われたら逆に困るよ。こまってる。

認知が思想がなにが歪んでたって自分で作ったさいきょうの繭の中で何もしないで怠惰にどろどろに溶けてるくらいが絶対にちょうど良くてそれで大丈夫だからダメなわたしで大丈夫だから大丈夫じやないままで大丈夫だからそのままでいいだなんてやさしくしないでほしい。私のことを許すのは私だけで良くて私のダメなところとかそういうのを全部肯定しないでほしい。

自分でも何が言いたいか全然わからないし冷静になって読み返したら恥ずかしくて火を吹くかもしれないしこの相手は実在もしないのかもしれない。

たすけてほしい。放っておいてほしい。