虎になる夢を見る

脳内と音楽の話

「明日はもっと、楽しくなるよね🐹」祈りを込めて嘯くイン布団

 

全然日記を更新してなかった、半年くらい。

この半年、ネオニートで悠々と家猫みたいな生活をしたり、新しい仕事を始めて前職より残業が多くなったりしています。残業10時間未満って言われたのに、大嘘。

 

それでも日記を書かなくなったのは自分が凡そ幸福だからだと思う。幸福だと指先から言葉が全然でなくなってしまう。かなしい。もっとゆったり何もなく穏やかに生きていきたいけど、そうなった安寧の上の私はきっとなんにも面白くなくていやだな、と想像できることにもその姿にも鳥肌が立つ。

あとはまぁ労働に本当に暇な時間がなくて一生バタバタしてて労働中のヘイトを書き留める暇がないのはあるかもしれない。帰宅中に海になった体から波と一緒にしぶきになって離れていく感情を自分のものとしてとどめておけない、家に着いたらスライムになった体はベッドに流れて思考なんてできない。いいわけだね。情けない。

 

Twitterのフォロワーが、“面白い人間を観察すると、外部に対するヘイトもしくは内部にコンプレックスを抱えていて、そこの反発材としてユーモアを手にしている者がほとんどのように思える。(略)幸せの麻薬に負けたくない、フィルターのかかりまくったぼやけた人生は気持ちの良いものではあるが、そこに留まりたくはない。”ということを書いていて、本当にそれだな‥とおもった。

自分の感情さえ他人の言葉にのらないとわからないような人間に成り下がっていて本当に悲しい。

 

精神がガキ過ぎて、悲劇のヒロイン気質すぎて、例えば何かで自分がどちらかというと不遇な目にあった時、生まれてくるのが反骨精神ではなくてもういやだよ~みたいな、こんなだから私はダメだね‥みたいな、情けね~~感情ばっかり。被害者ぶっても何かが生まれることはないから、そこでへのへの‥となってしまうのが抜群に格好悪い。2024年はそれをやめたいですね、四半世紀もそんな感情でやってきちゃったから、なおすのには時間がかかるかもしれないけど。

 

私に備わっているなけなしの反骨心は、TOEICでそこそこの点数を取って計画的に転職活動をするぞ、という、それだけ。それだけです。毎日少しだけabceedをやる、今の会社に1年はいたくない。いられない。小間使いみたいなことばっかりやらせやがって。

なんか、くだらなく自尊心を減らされることばっかりだからべつに日記を書くほどでもないのかも。日記をヘイトで埋めたくないからいいか。

 

2024年、勉強して、たくさん音楽を聴いて、たくはんライブに行って、たまに展示に行って、たくさん好きなものを食べて、少し運動して、そうやって少しずつ自分に優しくできるようになりたいです。

自分に優しくしたいとか、努力(勉強)して現状を変えるとか、そういうふうに考えられるようになってよかった。

 

明日をもっといい日にしたい。今日より0.1でもいい日だったらいい。そう上手いこと行くわけないけどそう思わないとやっていけない。期待じゃなくて祈り。