虎になる夢を見る

脳内と音楽の話

黄泉近く結んだリボンを目印に、彼岸に生まれたいのちは歩く

3月、じさつに失敗した。誕生日があった。

正気に戻ったら恥ずかしくなって消すかもしれない。(このブログの文章は大抵そういう気持ちで書いてて、消したためしがないから消さないのかも)

 

人生で一番この世からいなくなりたかった。

なんでそんなことを思ったかはわからない。いつもの希死念慮がただ単に大暴れしたからかもしれないし、前の日に体調が悪すぎて胃薬とかロキソニンとかロラゼパムとかをちゃんぽんしたのが尾を引いてたからかもしれないし、この日もうっすら体調が悪くてそれがなにかに効いたのかもしれないし、寒い日が続いてたからかもしれない。何にせよありえなく死にたくて、でも前準備も覚悟もなんにもなくて、というかたぶん本気で死ぬ気もたぶんなくて、まぁ、いまこうやって日記にしてる。忘れたくないのに私は本当にすぐ忘れるから。2024年3月6日。

頸部の圧迫が全然うまくできなかった、そもそも我が家には紐状のものが全然ない。紐がないのはそうかもしれないけど、パンツを履かないからベルトもないしネクタイもしないからない。(かなりどうでもいいけど父親はネクタイで縊死してて、当時はサラリーマンすぎるなとかおもってた)お気に入りのスカーフをねじねじしたけど長さも微妙に足りなくて、サテンだからほどけやすかった。2回で諦めた。

肋骨に平行に刃をいれれば行けると思ったけどでかい方の包丁は洗われないでシンクにいて、小さい方の包丁でも怖くて猫の引っかき傷くらいしかのこせなかった。情けない。

死ぬ気がないのに死にたいとかいうなよ、と言われてる気がしたけどその時は本当にきえたかったからそんなことないのにと思って、でもハラキリもできない程度の意志だから本当にそうだね、とも思った。死にそびれたというには死に対する努力が足りなくてずっと情けない。

 

更に情けないことに誕生日はたのしく祝ってもらった。いのちの洗濯をしたくて箱根に行ってたくさん温泉に入った。洗濯されたかはわからない。

大涌谷で黒たまごを食べて、黒たまごってひとつにつき7年延命されるらしいから、本当に本当に死にたかったあの日のことをまだ覚えてるのに、たったの数週間前なのに、14年も延命される羽目になった。なぜなら私はゆで卵がガチですきだから。ほんとにだいすき。美味しすぎるじゃん。ほんのり香る硫黄もよかったじゃん、長生きはしなくていいです。

産まれながらの晴れ女だからあんなに寒い日が続いてたのによく晴れてて、富士山が大きくきれいに見えて嬉しくなってしまった。こういう幸せを希釈した日がずっと続けばいいなと思った。けど生まれてきてよかった、とはあんまり思わなかったな。

 

自分の希死念慮がありえないくらい薄っぺらいことを思い知るのってかなしい。なさけない。こういうときに大切な人たちの顔を思い浮かべて…みたいなのが無いのも薄情で、それもかなしい。

人に優しく自分に優しく、希釈した幸せみたいなぬるま湯みたいな花粉のない春の日みたいな穏やかさで生きていきたい、と、どうしようもなく何があってもこれから先もずっといなくなりたい、みたいな気持ちが同居してる。たすけてほしい。自分を助けられるのは自分しかいないよ。情けないね。

のうみそが溢れて弱音愚痴浸し 濡れた枕を感じておやすみ

くるしすぎる、労働が。人生が。
毎日がくるしいし精神がおかしいけど1年前に比べたら毎晩泣いてないし仕事中に飛び降りることを考えないし、全然元気なんだと思う。でも私は普通にもうしんどすぎる。でもこんなことくらいでしんどいって言うのは違くて、それは明らかに甘えで、そんなこと言ってたら私はこれから先どんなところでも働けないと思うし、誠に遺憾ながら、人生はめちゃくちゃ長いし、今って人生80年時代どころか100年なんですか?殺してください。

前の会社みたいにノルマの数字に追われることはないけど、なんか、毎週2週間後までの営業の予定立てて各部署の課長が出てる会議で発表しないといけないのも(予定だけじゃなくて実績も)、その予定を上司が勝手に追加するのも、あんまり大きくない会社だから社長の思い付きで仕事が急に降ってくるのも、上司はもう定年再雇用人間だから実働は私ばっかりなのも、1ヶ月半前に入ってきた後輩は後輩で大変そうだし、後輩は後輩で新しい仕事をドカドカ振られてるから結局私の業務量は人が増えてもあんまり変わってないのも、毎週2回ある回議も月に6回ある研修も、月イチのでかい会議の後にご飯会があるのも、部署としての生産性を毎週課長たちの前で発表するのも全部苦しい。人の前で話すのなんて苦手なのに外面がいいからヘラヘラしてるから部署に人がいないから会議で発表するのは私の仕事だし、その前に私がロラゼパムを倍プッシュしてるなんて当然誰も知らなくて、いや、知らなくていいんです全然。

私が入る前にやめてたひとたちは全員雑でリストが全然更新されなくてさぁ、みたいなことを聞くけど、普通に考えて業務量が釣り合ってなくて、人に関わる仕事のほうが先なんだからそんなの社内の一部の人しか使わないデータの更新なんてどうしても後手になるよ当たり前じゃん馬鹿じゃないの。その人達が悪いわけじゃないのに上の人間が何も本質をわかってないしわかる気もなくてくらくらする。


話は変わるけど1月の末にインフルになって、全然治ってるけど、なんか精神がありえないくらい弱くなってて救いようがないかもしれない。今まで平気だったことがどんどん怖くなってしまって朝の電車も毎日苦しいし、人の話し声も怖い。そしてイヤホンは壊れてる。壊れるなよ。
異常に疲れるしずっと心臓が変。それはまぁ体力落ちたのが原因といえばそうなんだけど。何にも自信がないし食べられるものがめちゃくちゃ少ない。人生に誇れるものがないからずっと自信がもてない、世の中の進化についていけなくて世の中がこわい。

それなのになんとなくうっすらと仕事ができる人みたいななにかになってしまってるからドカドカと仕事が降ってきて会議に引っ張り出されて日常業務もイレギュラーな業務もなんかふつうに溺れて死にそう、たすけてほしい。

会社の人に相談したら?って言われるけど相談できる会社の人なんて存在しない。相談できてたらとっくにしてるのに、全部お昼と飲み会のネタにされるし、社長は辞めたひとの悪口を会議とか朝礼とかでたくさん話す。誰のことも信用できるわけがない。

辞めたいけどお金もない、なんで年収下げてまでこんな会社に入ったんだろう。幸せになりたいと思いながら生きてるはずなのにどんどん自分で幸せから遠ざかってる気がする。そもそも幸せが何なのかも私はしらない。知ってる人いますか?幸せの青い鳥を探して旅をするチルチルとミチルの気持ちがわかる気がする。まぁ旅に出る体力も覚悟もないわけですが。わらい。


先週何かが決壊してありえないくらい会社でないてしまって、会社っていうかトイレだけど、でもクソでかい嗚咽がでたからたぶんその時残業してた人たちには聞こえてて死にたくなってる。いや、そもそもトイレも会社なんですけど。
ブラック企業あるある、会社にいる人は優しい人が多い、だから残業してた同僚が心配してくれて、あったかい紅茶を入れてくれたし頼んだらデスクからロラゼパムを持ってきてくれた。それから帰りの線が同じ子が、私よりはやく残業終わってるのに待っててくれて、休みの前日にしか寄り道しないっていつも言ってるのに、次の日も仕事なのにちょっとカフェに行ってあったかい飲み物とケーキを一緒に食べてくれた。
周りの人がやさしくてやさしくてありがたくて申し訳なくて死にたい。はやくここから消えたいし、消えないと迷惑だなぁと思う。
まぁ私に割り当てられてる仕事が多すぎて私が消えたとして迷惑なんだろうけど。

「明日はもっと、楽しくなるよね🐹」祈りを込めて嘯くイン布団

 

全然日記を更新してなかった、半年くらい。

この半年、ネオニートで悠々と家猫みたいな生活をしたり、新しい仕事を始めて前職より残業が多くなったりしています。残業10時間未満って言われたのに、大嘘。

 

それでも日記を書かなくなったのは自分が凡そ幸福だからだと思う。幸福だと指先から言葉が全然でなくなってしまう。かなしい。もっとゆったり何もなく穏やかに生きていきたいけど、そうなった安寧の上の私はきっとなんにも面白くなくていやだな、と想像できることにもその姿にも鳥肌が立つ。

あとはまぁ労働に本当に暇な時間がなくて一生バタバタしてて労働中のヘイトを書き留める暇がないのはあるかもしれない。帰宅中に海になった体から波と一緒にしぶきになって離れていく感情を自分のものとしてとどめておけない、家に着いたらスライムになった体はベッドに流れて思考なんてできない。いいわけだね。情けない。

 

Twitterのフォロワーが、“面白い人間を観察すると、外部に対するヘイトもしくは内部にコンプレックスを抱えていて、そこの反発材としてユーモアを手にしている者がほとんどのように思える。(略)幸せの麻薬に負けたくない、フィルターのかかりまくったぼやけた人生は気持ちの良いものではあるが、そこに留まりたくはない。”ということを書いていて、本当にそれだな‥とおもった。

自分の感情さえ他人の言葉にのらないとわからないような人間に成り下がっていて本当に悲しい。

 

精神がガキ過ぎて、悲劇のヒロイン気質すぎて、例えば何かで自分がどちらかというと不遇な目にあった時、生まれてくるのが反骨精神ではなくてもういやだよ~みたいな、こんなだから私はダメだね‥みたいな、情けね~~感情ばっかり。被害者ぶっても何かが生まれることはないから、そこでへのへの‥となってしまうのが抜群に格好悪い。2024年はそれをやめたいですね、四半世紀もそんな感情でやってきちゃったから、なおすのには時間がかかるかもしれないけど。

 

私に備わっているなけなしの反骨心は、TOEICでそこそこの点数を取って計画的に転職活動をするぞ、という、それだけ。それだけです。毎日少しだけabceedをやる、今の会社に1年はいたくない。いられない。小間使いみたいなことばっかりやらせやがって。

なんか、くだらなく自尊心を減らされることばっかりだからべつに日記を書くほどでもないのかも。日記をヘイトで埋めたくないからいいか。

 

2024年、勉強して、たくさん音楽を聴いて、たくはんライブに行って、たまに展示に行って、たくさん好きなものを食べて、少し運動して、そうやって少しずつ自分に優しくできるようになりたいです。

自分に優しくしたいとか、努力(勉強)して現状を変えるとか、そういうふうに考えられるようになってよかった。

 

明日をもっといい日にしたい。今日より0.1でもいい日だったらいい。そう上手いこと行くわけないけどそう思わないとやっていけない。期待じゃなくて祈り。

ヒーローになりたい、なれない、じゃあせめて誰かの明日を繋いでみたい。

献血ができた。

他の人からしたらそんなことなんにも意味を成さないのはわかってて、でも私はすごく嬉しい。

 

頭がよかったらお医者さんになりたかった。屈強な精神と肉体があったら消防士になりたかった。わたしはどちらでもなくて、それでも誰かの助けになりたかった。

痛みに強くて、体重は50kg周辺をウロウロしてて、貧血気味でもない私が確実に人の役にたてるのって

献血で、2年前までは年に2回きっちり全血400mlを抜かれるのが常で、それがうれしかった。(成分献血ならもっとたくさん(最大年24回)できるんだけど、私の血管は細くて血が戻せないから断られる。)

 

ところが2年くらい前から精神がガチで揺らいで、薬を飲まないと日々がままならなくなっちゃって、お問合せフォームに「この薬とこの薬を飲んでいる場合献血できますか?」というメールを送ったところ全然無理だった。医師と相談の上3日は間をあけてください、みたいな返事だった気がする。

まぁ医師と相談する気は全然ないけど、勝手に、だとしても3日飲まないで過ごすのはかなり無理難題だった。1日の規定量超えて飲んでたのに。そんな感じでずっと献血に行けなかった。

 

休職して、仕事から離れて、悠々ネオニート生活をしているうちに薬を飲まなくても大丈夫なようになって土曜日に献血行こっかな〜って思ってた先月、コロナに罹患。当然その日は、というかそれから1ヶ月は行っちゃだめでまじで虚無の気持ちで天井を仰ぐしかなくなってしまった。かなしいね。

 

そしていよいよね!大丈夫になったんですよ!献血が!うれしい!

なんか緊張しすぎて血圧と一緒に測った心拍数が115くらいあって笑っちゃった。座ってお水飲んで落ち着いてくださいね、って言われてしまった。はい…。

久しぶりに献血して、血管の通る管が皮膚の上に乗ってるときの温かさとか機械の中で小刻みに震えてる血のパックがなんかかわいいとかそういうことを改めて感じて思い出して、何にもできない、なんの取り柄もない、国民の義務を果たして無い私だとしても、抜いた血で誰かの命を救えるんだなぁとおもってうれしくなった。嬉しい。

 

無能だけど誰かの役に立ちたいってアホみたいな承認欲求で、でもそれでも人の命をつなげるならいいよね。

これからもあんまり薬飲まなくて良いようにすごしたいですね。

爪の先、桜貝色、春の色 6畳1K 嘘のお花見

3月。

休職してから1ヶ月ちょっとがすぎまして。定時には窓の外が真っ暗だった、マフラーと手袋をしながら凍えて退勤していた1月が嘘みたいに18時をすぎたらいい具合の黄昏時で、コートも着なくて良くなった。というか桜の開花宣言まで出て来週くらいには見頃らしい。

1ヶ月半、あっという間だった気もするけどこの数年でいちばんゆったり流れていた気もする、へんなかんじ。

 

休職をしてよかったことも悪かったこともどっちもあって、備忘録みたいな日記です。

なんかね、全然関係ないんだけど初めてiPadの液晶でこれを打ってて、めちゃくちゃやりにくいですね。Bluetoothキーボードが調子が悪すぎるので…。キーボードに限らず物理ボタンがかなりすき。本当に関係ないね。

 

この間、たくさんの展示を見に行ってて、すこし英語と数学の勉強をしていて、映画を何本か見ていて、ライブにも何本か行っていて、すごくたくさん寝て、たくさんゲームをして、週に半分くらい自炊しています。

私が貴族だったら絶対にずっとこういう日々がいいな、って思うけど目減りする残高はひたすらに私を不安に駆らせるので脱出しなきゃいけない。

というか、そもそも世の中に自分が属している必要がないっていう感覚がすごく不安でいやだから、抜け出さなきゃいけないんですけど。私がいなくても世界が回るなんて当たり前だけど寂しくて仕方ないです。あんなに嫌だった労働のおかげで私は自分の居場所を見出だせていたみたいです。

 

展示を見に行ったり好きなものを食べたりしているのだって、日常に意味を持たせるつもりになって怖いことも不安なことも麻痺させないと足元がぐらぐらになっちゃうからやってるだけなのかもしれない。

だってそんなことしてる暇があれば転職サイトの返信をすればいいってわかってる。それでも今のぬるま湯が気持ち良すぎてずっとこうがいいなっておもってしまう。まぁ、残高を見るたびにそんなこと言ってられないなとも思う。

働くのが怖いし、いや、会社で何があったわけじゃないんからなんでこんなに怖いか分からないんだけど働くのが怖い。私ってかなり無能なのになぜか評価されていていつ私がゴミだってバレるんだろうって思ってすごく不安だったのは確実にひとつ。いやだな。私のこと何もできない人間だって思っていてほしいんだけどそんな人間は採られないのでおしまい、今の会社に戻る気持ちもないしな。

 

やりたいことじゃなくて現実的なことを仕事にして結局生き残れてないんだからどうせこうなるならやりたいことやって死んだほうがマシだった気がする。好きなことを仕事にしてたとして大変なことや嫌なことがたくさんあることは理解してるけどでも、苦手な業務をして、してしてしてすり減って何も残ってないただの産廃になってる今よりよっぽど良かったんじゃないかなぁってどうしても思ってしまう。

たらればの話だね、もう若くもなくて全然人生のやり直しも効かない気がしてくる。わかかったとして私は無能なわけですが。ワラ。人生言い訳しかなくて嫌になるけど嫌になるだけで私はここから動けません。

 

呑気なときって全然文章がかけなくて、この日記を書くのに半月かかった程度には私は今穏やかに呑気になんともなく過ごせてるんだけど、でも反動で今は全部が不安になっててウケるね。ウケてる場合ではない。

働きたくないと社会の中で役割がほしいという感情で毎日ぎゅうぎゅうに潰されてる。ほんとにこのままぺしゃんこにしてくれたほうが助かると思う。

 

ゆるく見積もったとしてゴールデンウィークくらいまでには、人生もう少しちゃんとしておきたいな。停滞しかできないのが気持ち悪い。

物陰の雪がなくなりますように。 瞼の裏でさくらを描く。

生活のタスクが多すぎる。

生活のタスクって多すぎないですか、 

 

脳みそがもう限界だ限界だと喚いてる気がするけどでもそれをどうにかする方法を知らない。2年前に会社辞めたいですって言って引き止められて、冬の面談の時に年明けたら休職したいですって言ったのもなぁなぁになってる。もうどうにかする方法が分かりません。

 

仕事が終わって帰宅して家のことをどうにかする方法を知らない。部屋がどんどん散らかっていって、2日に1回しか頭が洗えなくなった。

 

と1月10日くらいの私がダイイングメッセージみたいにメモに日記の残骸を残していて。それでこの前マジに限界が来て、休職になりました。私があまりに精神キワキワだったからわかんないですけど、人事と面談してからヨッカゴとかに休職とかいうとんでもスビードでした。

とんでもスピード過ぎて引き継ぎ資料作成で毎日3時間残業してたんだけど労働が無理すぎて休みたいって言ってる中毎日12時間労働してるのお笑いすぎる。

 

休職だからこれからどうなるかわからないけど、私は仕事が嫌いなりに労働サバイバーでいようと思っていたしそうなりたかったのに、なれなかったことが情けなくて仕事が嫌な気持ちと情けない気持ちと引き継ぎの申し訳無さでなんかすごい泣いてた、毎晩。

バリキャリゴリゴリ労働強者になりたかった。

なれないものは仕方ないと思えるほど私は自分を全然許せてなくて、友達に自我の確立してなさと自尊心の高さとそれに対する自己嫌悪が思春期だねと言われた、本当にそうだと思う。

でも思春期の抜け方もわからない。

 

今日からとりあえず一ヶ月お休みで、今は京都にいます。安井金比羅宮にいって不健康とそれの原因との縁が切れるようにお願いしてきました。寺社仏閣に対してあまり興味がないのであんまり他の神社とかに行く予定はありません。

不健康はダサい、2023年は健康が流行る。

昨日は行きたかった展示を見に行きました、このために京都に来た。

先月と今月、本当になんの欲求もなくてたくさんライブをすっ飛ばした。土曜日もすっ飛ばしてる。でも昨日行きたかった展示に行きたいって思えたことが嬉しい。

 

希死念慮と上手に付き合っていけたらいい、別にいなくならなくてもいいしもうずっと一緒にいるから突然いなくなっても逆にわけわかんないかも。

でも見たい展示もライブもあるからなんとか不健康とは手を切りたいですね。

それから生活を少しずつできるようになれたらいい。だいじょうぶになれたら嬉しい。

 

木之本桜ちゃんの絶対大丈夫だよ、をこころのお守りにするためにカードキャプターさくら読み直そうかな。

風花、ベランダで揺れるヒートテック 忘れて羽毛を抱いて寝る

私に何の断りもなく2023年になったし、なってとっくに2週間経過してる。

ばかな私の日記は10月から全く動いていなくて、いや本当にそういう、物事を続けられないところが私の悪い所なんだけど。仕方ないですね。たかが趣味でたかが吐しゃ物に何を言うても仕方ないので。

 

去年少しだけ書いてた書き散らしだけ勿体ないので乗っけておきます。

ワンガリマータイももったいないって言葉を世界に残しているわけだし私もそれに乗っかって行かない手はないと思うねすよね。何の話だろう。

 

≫本当に全部いやだからなんにもしなくていいからふわふわの毛布で、ふわっふわの毛布で一緒に寝てほしいそれだけでよくてそれさえあればよくてていうかそれしかほしくない

 

https://twitter.com/uso_tuki/status/1437013664695869441?s=20&t=fyiOKERLPzeC0R9hxljIvQ

めちゃくちゃ好きな天才博士botのツイートです。

別に金木犀の香りでどうこう言っている人間が全員嘘つきだとは思ってないけどなんか好きです。デカい主語の言葉って大好き。インターネット育ち。

私の金木犀の原体験はおばあちゃんの家の庭に植わっていた金木犀の木で、いい匂いだね~と言ったら私が家に帰る時に大層大切に育てていたその枝を折って持たせてくれたこと、なため金木犀って愛だな~となんとなく思います。

押し花が趣味で、そもそも植物がすきなおばあちゃんの家の庭はめちゃくちゃいろんな植物があって楽しかったし、趣味と共生しているみたいで素敵だなーとずっと思っています。

 

まぁ、年末年始に帰省したらおばあちゃんは激痴呆症になっていて、私たちの事はギリわかるけど、ギリていうかたぶん普通にわかるんだけどなんか感情の抑え方というか表現の仕方みたいなのが子供みたいになってて怖くなっちゃいました。老い、怖すぎ。

 

相変わらずやめたい仕事は4月で6年目になります。1番好きなアイドルと3年ぶりにやっと話せるイベントには外れました。2ヶ月、明確に他人を傷つける出来事がありました。薬が増えたら平気が増えた気がするけどそれって本当に平気が増えたのかわからないでいます。凡そ元気だし凡そ元気はないし、それでも確実にこんな大人になっていたかといわれたら全くもってそんなことはない。

それでもこんなふうになっちゃったんだから、こんなふうにしかならなかったんだから仕方ないんですよね。

病むのはダサい。2023年は諦観。

 

聞いて好きな音楽を貼ったりまた映画や本を記録したりするアカウントを作りました。

〇月に聴いた曲、を更新しなくなった墓場です。もしよければ。

水色のカラーコード

 

毎月とは言わないから季節に一回くらい更新するようにできたら良いですね。また。