虎になる夢を見る

脳内と音楽の話

陽にやけて青い笑顔の五歳児が幸せそうで目の奥を噛む

週末、父親の七回忌で実家に帰っていました。来月、姉の結婚式で実家に帰ります。

自分の事を愛情に飢えた人間だと思っていて、なんだろうか、他人からの好意を信じられないくせに他人からの好意を少しでも逃さまいと生きている人間だという自覚があります。他人からもらった優しさとか暖かさとかいわゆる愛に分類されるものを味が出なくなるまで咀嚼するのはたぶん、みんなやることかも知れないんですけど、わたしは過食症だからすごい勢いで思い出を反芻しまくって咀嚼しまくって、すぐに味が無くなって全然満足できなくなってしまう。
相手に嫌われたくなさ過ぎてそう思うあまりたぶん人といるときも自分の事しか考えてないのでなんともまぁ、不誠実。そんな人間の事は誰も好きにならないとは分かっています。

なんというかこの渇望(のようななにか)は家庭環境というか、成長過程でのなにかしらが足りなくてこうなったと思っていました。なにかしらとかいうクソ頭の悪い認識ですね。
でも、お姉ちゃんが結婚式のムービーのためにひっくり返していた実家のアルバムを私も見て、記憶にない、でも確かに愛された事実のようななにかがそこに写っていて、なんなら何冊にもまとめられていて、なぜかわからないけどすごく悲しくなりました。
別に、私の家は家族仲が悪いとかそういう訳じゃないのはずっとわかっています。悪いどころか私大で4年間学費も家賃も仕送りもくれていて、その程度に大切にはされていたと思います。
でも被害者面が大得意な、嬉しいことはすぐに味のなくなってしまうバグった脳みそは、全然褒められずに育ったこととか、同居の祖母とそりが合わないこととか、兄にお前はうちの子じゃないよと言われたこととか、そういうことの味ばかりを覚えていて、本当にバカみたい。一生そんなことで自分にちくちく言葉を向けてるからなんにも満足できずに自分を認められずに他者にひび割れを埋めてほしくて、でも結局埋めてもらったものを自分で無くすのを四半世紀繰り返してる。本当にウケるな。

それから、まぁ自分の事しか考えていない人間なので当然なのですが何で人間が結婚するかの意味が全然分からないんですね。
すきな人と合法的に一緒にいられて、かつ自分が死んだ際に血の繋がっていないすきな人に遺産を渡せるから、という理由はかなり納得できる理由だと思っています。ただ、世間の人はそんな打算もしくはガチ恋アイドルオタクみたいな考えじゃない気がして、お母さんになんでパパと結婚したの?と小学3年生のような質問をしたら「う~ん、なんでだろうね、もう忘れちゃった」と返ってきて、そりゃ30年以上前のことだしそうなのかもしれないけどその程度の決定で人間は家庭を持てるの?とちょっと衝撃だったし、なんだか寂しささえ感じました。
お葬式も法事も泣いていたし毎月命日にはお墓に行ってるらしいし、たぶんそこには愛のような感情があるんだろうと推し量れるんですが、かといって取り立てて仲のいい夫婦だったという印象もないので、全部私の知らないところで動いている世界だな、とおもってしまう。まぁ私が生まれる前に結婚してるし私は二人の事をきっと全然知らないので私の知らないところで動いている世界なのは当然なんですけど、両親の結婚した理由くらい知りたかったな。

おじいちゃんは癌になったり、おばあちゃんは痴呆が進行していたり、親戚のおじさんも内臓をなくしたり老人たちはどんどん(最悪の物言いですが)おしまいに向かっていく反面、お姉ちゃんは結婚式を控えているし、従弟は春から社会人をして前に進んでいました。
実家に帰ると血の繋がってる完全な他人じゃない(?)人間の事をたくさん考えなきゃいけなくて大変だな、と不義理ながらも上京してあの輪から外れたことに少し安堵する帰省でした。4人全員いきている祖父母の世話を全部お母さんがしてくれているのは申し訳ないと思いつつも、かといって山に囲まれて親戚づきあいや義理立てなどに雁字搦めになるのは絶対に無理だな、とも改めて思ってしまう。
自分の事しか考えてないのに自分の事で精一杯なのに自分の事だけで日記を何ヵ月も書いてるのに、他人の世話とか親戚づきあいとか、眩暈がしちゃうな。ごめんなさい。

むかし、「東京という自由と無責任の都、めちゃくちゃ自覚しながら大人のステップを踏まないと永遠の子供が醸造される」というツイートがあって、私は本当にその何も自覚せず考えず生きてる永遠のクソガキだな、と笑いたくなってしまいましたが、笑ってる暇ではない。かといって大人にもなりたくないんだよ、こんな年になっても。ずっと。
私の法事も、私の結婚式も、なにもなくていいから子供のままで突然都会の空気に霧散しちゃいたい。もう子供じゃないのにね。