虎になる夢を見る

脳内と音楽の話

棺桶にとろけるチーズ山盛りで どうか春からさよならさせて

春がすきで春が嫌いでそんな私は春の日に生まれました。

私は音楽が好きで、クリスマスに聞きたい曲とか夏の終わりに聞きたい曲とか春に聞きたい曲とかお葬式に流してほしい曲とかはあるんですけど、誕生日に聞きたい曲って全然思いつかないんですよね。

去年はCRYAMYのディスタンスを聞いていました。
「生まれてきてよかったなんて 思ったことはないんじゃないかな まぁついでに言えば生きてきて よかったなんてこともないんじゃないかな」
なんて、まぁ未来の事なんてわからないのでアレなんですがどう考えても去年のほうが今年より全然よかった気がするのにこの歌詞に頷いていました。去年はすきな人が祝ってくれて少なくとも今より全然マシだっただろ。不幸なポーズをとるな。

きのう、spotifyをシャッフルしてて、もっさのハム太郎みたいな
「お金もない 努力もしない 25を過ぎたら死ぬしかない」が耳に飛び込んできて思わず笑ってしまいました。はい、お金もなく、努力もしていない、死ぬしかない人間です。本当になんでこんなにお金がない?ってくらいお金がなくて笑っています。
25歳になりました。

昔々、ちょっと昔の言説に女はクリスマスケーキのようなものだから24歳を過ぎたら価値がなくなる、というものがありました。24歳だった時ですら何の価値もなかった私なのですがどうやら0は-に成り下がるらしいです。一度もショーケースに並ぶこともなく廃棄です。
というか、別にショーケースに並びたいとも思ったことはないのかもしれないです。顔があれだからそもそもモテないんですけど、モテとか言う、人間としての中身を見てもらえなさそうなただの消費で内も外もゴリゴリに削られそうなの、怖すぎる。恋愛を消費だと思っているからダメなんだろうな‥はい‥

お金もない、努力もしない、ショーケースに並んだこともないまま25歳に、なんと誰がどこからどう見ても大人の年齢になってしまいました。精神はまだまだずっと冷たい田舎の校舎から出られないでいるのに。
東京は桜が開花したらしくて、なんというかそんな華々しい季節に生まれた癖に襤褸みたいな、矮小で何もできなくて、春の暖かさにウーーと唸って泣きたくなるような人間。私がなりたかったのは春の日の中で暖かく微笑むような人間でした。そんな人間はtwitterには存在しない、わかる‥‥‥‥。
そういえばこの日記を書いていて、桜を今年はまだ見てないことに気づきました、見たいなぁ。死ぬなら春がいいな、と思ったのは一昨年だっけ。私は桜に攫われそうなほどの透明感とか、なんでしょうね‥そういう美しさをは持ち合わせてないけど。自分の生まれた好きで嫌いな季節におしまいになりたい。おしまいおしまい。

それでもわたしはどうしても何があっても例え体がおしまいになっても2022年2月12日までは生きたい理由があるので、もはや義務なので、お金はないし逃げ道はないけど、25を過ぎても生きていたいのです。

小さい頃考えてた25歳とは、大人とは似ても似つかなくて最悪ばかりを更新しているような気がします。
人生、どうしたらよかったんだろうかと思うことがたくさんある、今まで選んできたものは多分全部間違ってはないし、反面、全部間違ってたんだろうな。人生とか言うクソキモイノベルゲーがよ。

こういうこと考えてるとみるみる自己嫌悪の波にのまれて体の周りを膜張っている希死念慮がとろとろとけて体内を脳内を侵食している感覚。馬鹿じゃないの、といいたくなるけど、けども何もないな、バカなんだろうな。

収拾が全然つかなくなっていますね、25歳になりました。
死ぬしかないような人生だけど、生きていたいので、生きていたいほどの積極的な気持ちはないからそれは嘘だけど、それでも数少ない友達が今年も少しでも幸せに過ごしてね、とか生まれてきてくれてありがとう、とか定型文だろうと、そこに感情がなかろうと伝えてくれたのがすごくすごくうれしくて、そういう嬉しい言葉だけを抱いて生きていきたいです。

生まれるなら春に、死ぬなら春に。